人のすなるにきといふものを

してみんとするなり。

日記が続かない人間です。紙でも、ブログの形でも。その日に起こったことのうち、残しておきたいことを選んで、書く。そういう行いだろうと思うのに、どうもうまくいかない。

絵日記課題も1行日記も苦手だった小学生の頃からなにひとつ進歩していないのかもしれない。当時も書けなかったし、書ける人がわからなかった。習慣化することとその維持の不得手はそのことからあって、変える機会のないまま今に至る。

日記が書けない理由は簡単で、取捨選択が苦手なのだ。苦手、とは違うかもしれない。基準がわからない。正しい基準なんてないので、自信がないが正確だろう。朝から晩までもらさず書こうとしてしまうから分量と文章がおかしくなるし、時間と判断を取られるから億劫になるのだろう。

書き残して読み返したくないものほど、とっておける場所に置いて空にしないとぐるぐる思考が巡るというのもあろうね。日記の目的と結果が相反してしまうという。

 

日記を書いてみようと思って開いたのにこれだよ。手書きすると(特に鉛筆書きだと)視覚の記憶で頭に残りやすいのですが、これはデータなので気軽に行くのがよいでしょう。

 

ずっと前から買おう買おうと思っていた、ダイソーの3段棚を買い足した。何年か前にツイッターで流行った、フェルトを敷けば万年筆入れにピッタリと言われるあのケースだ。

なんとかフェルトを発掘して中敷にした。これで、国産三社とそれ以外で万年筆を分けられるようになった。見た目のバランスも整ったし、嬉しいことです。むかし精神バランスを買い物とヤフオクウィンドウショッピングで保っていた時期に超安価帯の万年筆と昔の金ペンをやたらと集めていたため、妙に本数があるのだ。あとラミサファスケルトンのB。私はラミサファのBが好きです。

ケースは見た目の大きさは一緒だけど天板の素材か密度が変わったようで、触った感触がわずかに薄いような柔らかいような質感だった。価格が安いので、なくならない有難さを拝むだけなんですけれど。

 

会社ごとに並べてみたら、セーラーの金ペンを思ったより持っていなくて驚いた。正確にはもっとあるのだが、限定品を販売店で買ったものが多いため、箱から出していないのだ。箱から出すと保証書がわからなくなってしまうので。そしてちょっとコレクター気質があるために、その完全性が崩れるのが嫌なのだ。

把握できないのでは仕方がないから、そのうち改善しなければと思う。だって記憶が正しければ、正規で買った金ペンが一番多いのはセーラーなのだ。こんなに少ないはずはない。

 

丸善によったらフォルカンの限定カラーが出ていて、眺めていたら触らせてもらった。立て気味で使うそうで、少し慣れない持ち方だけどあたりが独特の軟らかさですごく楽しい。しなるからだろう、真上から落とすと弾むように返ってくる。私はかなり寝かせて書くのだが、そうすると柔らかく軽く書ける万年筆といった感じ。筆のように使えるところも見せてもらって、楽しそうだなあ、と嬉しい気持ちになった。パイロットはいつからか毎年限定色グランセをやめていて、だからかな、年に一種類限定品の金ペンが出てるらしい今がすごく嬉しいのだ。買うか買わないかによらず。もちろん買うのが企業にはよいのだけど。

 

買うかは、わからないね。今日インク通しをしたフィーカちゃんだって増やしたばかりだし。

もともと一本お迎えするつもりであの街に行ったし、ダ・ポンテの気持ちを思い出すのにぴったりの個体を見つけた、と思うので、この子に関しては悔いは全くないのだけど。