【田代万里生】推しと偶像とかみさまの話をしようじゃないか。

特別お題「わたしの推し

 

名前を挙げておいてなんですがミュージカル俳優田代万里生の話はしません。いや先にしとくか。

見通しを立てた話し方をする方だなと思う。話のというか、聞き手がどこからスタートするか、何を持っていて何を持っていないかの想定がすごく優しいのだろう。優しい?親切? いつどのテーマにおいても「(聞き手が持つ)知識が乏しくて話に置いて行かれる」がない。知っている人には繋がってるように見える、知らない人には飛躍に聞こえるところが丁寧に取り払われている。あれはさいのうだな、と思う。自分でない者の見てるだろう世界を意識して、彼ら彼女らまで届く伝え方を考えてきているんだな、という。センスとは蓄積のことで、才能とはし続けることだ。*1一言にするとびっくりするほどプレゼンがうまい。表現も言葉もあの過不足のなさは伝えたい誰かをよく見て考えているからだと思う。

これはわたしが田代さんすげえなあと勝手に思ってるところであって彼に事故った理由ではないんですが。推しが増えるのって事故だよね。

LNDの第一声(「シャニュイ子爵夫人は~」)でなんだこのひと!?とオペラグラスを向け、ホテルの第一声(「なんて町だ」)でなんだこのひと!?でロックオンしてそのままうっかりラウルにずぶったの、あれ完全に事故の勢いだったと今でも思う。フィッシュちゃん目当てで見始めたセラムンSSでアマゾネルカルテットにずぶった*2ときとほぼ同じ勢いでずぶった。
そのときの印象があまりに強くてそれから半年くらい田代さんの認識が楽器みたいなお兄さんだったし今もわりと半分くらいはそう。上等な、上等であるように手を入れ続けている誰かに何かを届けるための楽器。うつくしい音で。

以上です。ここからは長い蛇足。

 

えーと、ここからは創作物の話として。

一個人の一面だけを切り取って作った偶像に世界の物差しを依託してしまうことを「かみさま」にすると呼んでいる。00年代のヒロイン、そして今の支部発マンガにはわりと多いキャラクター造形ではないかなと思ってる……んですが、私の読むものは偏ってるのでほんとにブームだったのかはわからない。かみさまがいるいきものはRPがしやすいので、TRPGなどで他の子と恋愛RPしなければいけないときは多用している。かみさまを置いたときにPCの自我にヒビ入れる感触があるので、自己同一性が確立した歳のはずの人間がかみさまを抱いているのは、たぶんあまり健全な価値観ではないのだろうと思っている。テディベアやライナスの毛布なしで息ができないようなものなので。

 

また唐突に別の話なんですが。
コロナ禍の第一ショックが過ぎて、劇場が少しずつ開きだした頃。厳密にいうと、そこからほんのちょっと後くらい。トークライブでもテレビでもラジオでも、舞台に関わる人たちのトークが「コロナ禍のときに何してた」「何を思って過ごしてた」一色の時期があったじゃないですか。あれがね、一番しんどかった。なんなら公演中止が次々流れてきた時期よりしんどかった。

わかるんですよ。わかるんです、彼らの元気でいたよ、同じ気持ちだよというメッセージなんだろうってことは。でも私にはあれが本っ当にしんどくて。

私は舞台演劇というエンタメを暗いところに一時目を瞑るため、言い換えれば現実からの息抜きにしていたので、どうにもならないのがわかってるものを舞台の上でまでも見せられるのが本当にキツかった。比較のたとえに出すのは失礼だと思うけれど、3.11の後にテレビやらニュースやらで津波の映像が何度も何度も流される、あれが「その瞬間」の衝撃を思い出させてしんどいっていうのと少し似ていたんではないかと思う。

別に当時も今もそれをしてほしくなかったとは思ってないんですが。彼らがそれを語ることに、同じように苦しい時期を乗り越えて今ここにいる、という開示に力づけられた人もたくさんいると思う。

私のチケットの取り方(種類<<<一品集中)を知ってる人にあの帝劇コンサート一回も行ってないのを話すと意外ーって言われるんですが、行かなかったっていうか行けなかったんですよね。あの時期にやるコンサートでコロナ禍の話題が出ないなんてことはないだろうと思ったし、それを見たら今度こそ逃げ口がなくなるから。

私はだいぶ社会を信じてない人間であったためあの当時ラジオに舞台にあふれていた「私もつらかったよみんなで頑張ろう」の空気を「みんな同じ目に遭ってるのにのうのうと日常を送っていた楽な人間が苦しむとはおかしい」に自動変換して*3いよいよ逃げ道を失い、「(ラジオとかTV番組とか)いま見ないと機会がない」情報が公演以外に出てきにくい対象へ精神安定をぶん投げた結果ここに行き着きまして、うーんごめんなさいと思いながらかなり意識的に狭めた視界の焦点に突っ込み。ブログの他にもFC限コンテンツの更新がそこそこ頻繫にあったらしいんですが一切見てないしコンサート情報にも手を出してない、なんなら会報も開けてない(これは元からだけど)、おまえそれ推してるのか?という状態で半年ほど生きるなどしました。その節は本当に。ありがとうございましたが接続文脈だけど心情的にはすみませんでしたですねこれはね。勝手に命綱にしたあげく金を落としてないので。

赤の他人の一個人に精神安定を仮託するなというのは全くもってその通りで、だから一応ちゃんと抜いた後にこの話をしています。故郷の沼ことサンホラがいい感じのじごくをお出ししてきてくれたのでいけると思って引き抜いて突っ込んだ。ローランの選択で命が世界線が選定されてしまうのでぐらぐらしていられなくなるかなって。示唆された二択の先に震え上がりましたが。「おはよう、ミシェル。」の威力よ。

そうやって抜くは抜いたんだけどどうも思考の手癖が残っているらしく、今期SOML兄組の感想がえらいぐちゃぐちゃしてますね。普段はソトのものを使って読むからとち狂う言っても価値観が揺れることあんまりないんだけどな……物語にウチのものを引っ張り出されるとあのZAMAだよおれは。やーね、耳のあるロボットになりたい(そういう曲がある)

*1:執着こそが才能だ、『きょうもみんな、おえかきがすきです。』(著.赤夏)より。

*2:アマゾントリオとカルテット、その後10年ぐらいしてメンタルが完全に死んでたときに支部絵ずっと見てたくらいには今も好き。

*3:病的だと思うが治した先にも虚無しかないから治してない