豚汁のなかみ。

今週のお題「芋」

 

読み方で戦争が起こるこちらの食べ物。私の友人は「とんじる」と呼ぶひとが多かったけれど、学校給食では「ぶたじる」となっていたような気がする。遠いむかしのことなので、記憶はだいぶ曖昧だ。

我が家で豚汁の芋といえばサトイモである。大鍋とはいえ冷凍のむき里芋を1袋、丸々入れて作るので、汁に対する芋の比率がものすごいことになっていた。表面が汁を吸ってとろりとしている2日目夜の食感はぜひ味わってほしい。

ところが、給食や外食で出てくる豚汁に入っているのはだいたいサツマイモなのだ。あれはあれで美味しいものだが、根菜と豚脂だけの甘さのさっぱりした食べ物をイメージしているといささか面食らう。たまに皮だけになった芋に遭遇することもある。それでも、水からじっくり煮込まれて甘くなったサツマイモに、豚と味噌の風味が浸みているのは乙なものだ。

それぞれのよさはあるが、「豚汁が食べたい」と思ったときに欲しい味は、やっぱり慣れた味である里芋の豚汁なのだ。

万年筆インクをかびさせた話

話っていうか現在進行形です。片付けを思うと気が重い。

言い訳するならですね。知識として知ってはいたんですよ。
万年筆インクの寿命が2~3年であること。そのくらいで防腐剤が効力を失い、かびが生える可能性があること。一度ペンに取ったインクを戻してはいけないと言われる理由。

それでも限定品や廃番はとって置きたくなる、それが人情ってものじゃあないですか。代替品になりそうなものが出ていないインクは尚更。

と言いながらカビさせて駄目にしてるんだから人情も何もないんですが。
四の五の言っても始まりませんね。今回の被害者はこちらです。

10年近く前でしょうか、ペリカンが蛍光インクとBB幅の万年筆をセットで出したことがありまして。コンセプトは文字通りのハイライター、目立たせたいところにどうですか、というわけです。
ペリカン社が廉価帯万年筆でBB幅を出すのは珍しいそうで、けっこう注目されていたみたいですね。

買うじゃん?お分かりの通り普通の万年筆には使い難いから消費は少ないじゃん?
そんな感じで特に回転数も上がらず、部屋の棚で眠っていたんですね。7年ほど。

カリグラフィーのペン先をしたハイエースネオが出たので久しぶりに出したらこれです。

底のほうにもけもけがあるのお分かりでしょうか。これ全部カビ。瓶を揺らすとこうなります。

落ち着かせておけば上澄みはぱっと見綺麗。ペンの中に入れるには怖くても、安いつけペンで取っておかない紙に使うぶんにはまあ……と思うじゃん?
いやこれは思わないかもしれませんが。私が極度に「捨てる」に怯えるだけかも。……値上げと廃番を食らいすぎていて。

万年筆に入れるのは怖いけど安いつけペンならワンチャンあるのでは。そんな邪な考えで蓋を開け、即座に断念しました。
のけ反るほどの刺激臭!これは駄目です。

というわけで、捨てなきゃなーと思い……1ヶ月が経ちました。早く捨てろ。この記事を書いたので捨てます。……トイレに流すしかないかな……数mLなら紙に吸わせて捨てるんですが、ほぼボトル1本ぶんなんですよね……。

写真撮って記事にもしたし、捨てますかね……。

青い鳥の死と三日坊主。

三日どころか二日と続いていない。
言い訳をするならば、今の職に適性がなさすぎたことと体力低下と季節とで鬱々していた。

ツイッターのDMでオンラインのタスク管理をしていたので、というのもある。あとシンプルに置き卓に向かない。ずっと考えてるのでないと描写が出てこないので。

 

久しぶりに図書館に行った。時間はあったのだが穴を埋めさせられる虚無で消耗して動けずにいたため、やっと行けてよかった。

2週間で読み切れないとわかって10冊借りてしまうのは最早癖だろう。なので、うち2冊は眺めるだけの本にした。作る気のない手芸本はいい感じに空想だけが膨らんでよい。ビーズ編みのカエルは作ってみたかったが。

『図解 営業の基本』なる本を立ち読みしてきた。立ち読みや移動中の状態だから読み進められるタイプの人間であるが故に。こういう浅くて知らないジャンルを、つまみ食いでざーっとインプットするのは楽しい。
クロージングやテストなんとか(頭に入っていない)、こういう冗長な話し方をしがちなので少し意識したいなと思った。まあ、意識したところで出力の機会はないのだけれど。

やっぱりさっさと出よう。今のところ、労務で浅くやっただけの私でもわかる労基法違反が複数あるし。わざとではなく、スタートアップのまま整備されていないだけなことが原因だとわかる内容なのがタチの悪いところだ。

人のすなるにきといふものを

してみんとするなり。

日記が続かない人間です。紙でも、ブログの形でも。その日に起こったことのうち、残しておきたいことを選んで、書く。そういう行いだろうと思うのに、どうもうまくいかない。

絵日記課題も1行日記も苦手だった小学生の頃からなにひとつ進歩していないのかもしれない。当時も書けなかったし、書ける人がわからなかった。習慣化することとその維持の不得手はそのことからあって、変える機会のないまま今に至る。

日記が書けない理由は簡単で、取捨選択が苦手なのだ。苦手、とは違うかもしれない。基準がわからない。正しい基準なんてないので、自信がないが正確だろう。朝から晩までもらさず書こうとしてしまうから分量と文章がおかしくなるし、時間と判断を取られるから億劫になるのだろう。

書き残して読み返したくないものほど、とっておける場所に置いて空にしないとぐるぐる思考が巡るというのもあろうね。日記の目的と結果が相反してしまうという。

 

日記を書いてみようと思って開いたのにこれだよ。手書きすると(特に鉛筆書きだと)視覚の記憶で頭に残りやすいのですが、これはデータなので気軽に行くのがよいでしょう。

 

ずっと前から買おう買おうと思っていた、ダイソーの3段棚を買い足した。何年か前にツイッターで流行った、フェルトを敷けば万年筆入れにピッタリと言われるあのケースだ。

なんとかフェルトを発掘して中敷にした。これで、国産三社とそれ以外で万年筆を分けられるようになった。見た目のバランスも整ったし、嬉しいことです。むかし精神バランスを買い物とヤフオクウィンドウショッピングで保っていた時期に超安価帯の万年筆と昔の金ペンをやたらと集めていたため、妙に本数があるのだ。あとラミサファスケルトンのB。私はラミサファのBが好きです。

ケースは見た目の大きさは一緒だけど天板の素材か密度が変わったようで、触った感触がわずかに薄いような柔らかいような質感だった。価格が安いので、なくならない有難さを拝むだけなんですけれど。

 

会社ごとに並べてみたら、セーラーの金ペンを思ったより持っていなくて驚いた。正確にはもっとあるのだが、限定品を販売店で買ったものが多いため、箱から出していないのだ。箱から出すと保証書がわからなくなってしまうので。そしてちょっとコレクター気質があるために、その完全性が崩れるのが嫌なのだ。

把握できないのでは仕方がないから、そのうち改善しなければと思う。だって記憶が正しければ、正規で買った金ペンが一番多いのはセーラーなのだ。こんなに少ないはずはない。

 

丸善によったらフォルカンの限定カラーが出ていて、眺めていたら触らせてもらった。立て気味で使うそうで、少し慣れない持ち方だけどあたりが独特の軟らかさですごく楽しい。しなるからだろう、真上から落とすと弾むように返ってくる。私はかなり寝かせて書くのだが、そうすると柔らかく軽く書ける万年筆といった感じ。筆のように使えるところも見せてもらって、楽しそうだなあ、と嬉しい気持ちになった。パイロットはいつからか毎年限定色グランセをやめていて、だからかな、年に一種類限定品の金ペンが出てるらしい今がすごく嬉しいのだ。買うか買わないかによらず。もちろん買うのが企業にはよいのだけど。

 

買うかは、わからないね。今日インク通しをしたフィーカちゃんだって増やしたばかりだし。

もともと一本お迎えするつもりであの街に行ったし、ダ・ポンテの気持ちを思い出すのにぴったりの個体を見つけた、と思うので、この子に関しては悔いは全くないのだけど。

キドナプキディング実況

実況と言ってもTLに流すとネタバレになるんで後でまとめて出すことにしましたが実況です。
初見感想は初見でしかできないからね。

電子書籍のいいところは本を置かずにメモ取る体勢にシームレス移行できるところですね。

 


盾ちゃん本当の目の色が青と橙なの隠してないかこれ

髪にその色混じってるし手に持ってるの目玉の暗喩っぽいし


染み込ませた黒の戯言で隠して元青の法則で発現を防ぐ機構だったりしてな


なんだかんだ潤ちゃんの暴言に全部つきあってる盾ちゃんが髪と目の色にだけ沈黙を返すの、やっぱ絶対なんかあるやつ


というかさ、ここまで(お城到着)読んできて思うんだけどさ、盾ちゃんの「誇らしき盾」、戯言使いに言われて育ち彼女自身のものになった、彼女の矜持を形成する軸みたいな感じがするけどさ、盾って使われるものなんだよな。自分の身を守るために敵の攻撃を代わりに受けてもらう。


盾ちゃんの「マジ」って口癖、どっちかというと今のおじさんおばさんが思う若者言葉で平成っこにとってのアベックみたいな言葉(カップルにも同じ感情を持ちそうだけど)なのよな。盾ちゃんスマホ触んないからな


「なんて、冗談ですよ」、盾ちゃんここでは一回も言ってないのに雪洞ちゃんから“仕返し”としてこれが出てくるのこわじゃん 身辺調査は済んでいますじゃん


遠と近、ぷに子ちゃん的なあれじゃないよな……。そとみはヒトのボディだが中身は人象衛星の観測データと友が残したデータからできてるとかじゃないよな……


映画「私の中のあなた」を見てから小説『私の中のあなた』を読んだときの気持ちを思い出しました ありがち大団円ハッピーエンドなんざなかったがトゥルーはそらこっちよなという気持ちと客観的には本人がそうなることでまさに大団円(そこに含まれない当人はもう文句を思うこともないし)のシチュエーションが出来上がったんだよな


死んだの遠ちゃんじゃない?そっくりって言っても体格差なかったっけ?

成長した体躯の遠ちゃんが縮むのは無理でも近ちゃんが遠ちゃんサイズになるのは理屈上は可能でしょう、短い髪が伸びるのも


双子はひとつを2人で分かち合ったので、みたいなのよくある話じゃん

いっこのCPUを2人が分かち合って使ってたら、スペックは単体だと落ちるじゃん……?


戯言親世代シリーズと同じ巻数出す気だったりしますか西尾維新よ クビキリサイクルの娘巻だから首を斬りましたか


青色の特別性、片っぽが何かを引き受けないといけないんじゃないのこれ


遠ちゃん近ちゃんが白い薔薇なの、彼女らの青色は白い薔薇に青い色水を吸わせているだけだからって話だったり、する? 直は黒薔薇っぽいし……

青薔薇を冠している盾ちゃんはやはり、という話になってきてしまうが


ねえやっぱり遠ちゃんと近ちゃん同じCPUを共同使用してない?昔はちゃんとしてたけど衛星にガタが来たからとか同期がうまくいかないとかそういう話じゃない?


共感性絶無だった欠落故の天才の娘が共感による理解(という情報処理)に最も長けているのか

エリザベートの「史実」ネタを読んでみないかい?

小説もそれ以外も、めっきり本を読まなくなった。理由はシンプルで、文章への持久力が落ちたのだと思う。書くのも、読むのも。
客観的な視点として出されている文章に書き手の自意識を嗅ぎ取ると(観測も記録も世界に色眼鏡を掛ける行為だから、自意識くさくて当然なんだけれど。)疲れてしまうようになったのだ。
特に舞台関係のメディア記事は主観の言葉を事実の言葉として使っているものがほとんどで、自分が観た舞台や見たことがある俳優さんについての記事を受け付けなくなってしまった。こたつレポ騒動があってからは猶更。

そんなわけで、めっきり本を読まなくなった、なんだけど。文章以外の媒体で入ってきた物語の背景をちょんちょんと掘り当たるのは、なぜかあまり疲れない。
というのもあって、エリザベートの関連書籍だけはちょこちょこ仕入れて読んでいたりする。

2022年の史実モノ、ドラマでは「鎌倉殿の13人」、舞台では「エリザベート」が大きく盛り上がったように記憶している。*1
どちらも史実を元ネタとした”フィクション”として、すばらしく作りこまれた作品だ。そう感じた人が多いからこそ盛り上がったのだろうし。
ドラマの出来がよかったことでのめりこみすぎたのか、「ドラマ」と「事実」をまぜこぜにしてしまっている人がちらほら出てきているらしい。困ったもんだ(婉曲表現)という感想をツイッターで見かけたし、そうじゃないところでも見かけた。*2


鎌倉殿の13人は吾妻鏡*3を読んでいただくとして。
エリザベートを観て元ネタに興味を持った人向けの本はまあ、難しいよなあ……とも思う。具体的にはこのあたりが。

 エリザベートは人気題材なので多く出ているが、解説本や伝記の形式を模した小説がちらほら混じっていること。
 皇妃に比べるとフランツ・ヨーゼフ1世ゾフィーの本はほとんどない(少なくとも日本語書籍は)、あっても絶版になっていること。
 西洋の王族同名多すぎ問題(名のオリジナリティ高すぎな日本のほうが特殊なのだが)


というわけで、独断と偏見でお勧めするエリザベートの元ネタ関係書籍を語りたいと思う。「~~5選!」に憧れていたので、5つ。
感情のままに書いたら文字量がずるずる膨らんでしまったので、もうちょっと簡潔にして後で別所に上げる予定。noteとかに。
にほんごを頑張っていた名残でここから丁寧体ベースになりますが、あまり気にしないでやってください。

「怖い絵」で人間を読む』著.中野京子(生活人新書)

・イラストが多い(肖像画を切り口にしているため)
・当時の背景や風習にも触れている
・どの人物にも皺寄せをしない語り口

19世紀~20世紀初頭のウィーンは2章「呪縛の章」で扱われています。その次の「憎悪の章」ではマリー・アントワネットの時代が扱われているので、イケコ演出作品が好きな人にはひと粒で2度おいしいのではないでしょうか。
私はこの本で紹介されている、初子のソフィーが亡くなったときの大公妃の対応エピソードが好きだよ……。フランツヨーゼフの出産に至るまで、不妊と死産(とそれによる人々の口さがなさ)に苦労しただろう彼女が、子どもを喪った母親を一切責めないの人格が表れているエピソードだなと思う。

ところで。著者の中野京子さんが同じ時代の色んな人を同時に扱うときの、それぞれに事情があったよねスタンスで丸く収める語り口が好きです。様々な評価を受けているだろう歴史に名を残しているどの人物へも強い攻撃が向けられていない書籍というのは、手軽に買える新書・文庫の中では珍しいのではないかと思う。わかんない、私が当たってきたのが攻撃的な書きぶりだっただけかも。*4
世界史専攻の友人が作者推ししていたので、公平性や横断性もある程度信じてよさそうだなと思っています。

 

皇妃エリザベート ハプスブルクの美神』著.カトリーヌ・クレマン、監修.塚本哲也創元社,1997)

・図版や写真が多い
・ミュージカル「エリザベート」と視点が近い(気がする)
・シシィの詩(一部)が載っている

シシィ贔屓なんだけど一線引いた冷たさがあって、ルキーニ視点のミュージカル「エリザベート」に慣れた人にはとっつきやすいんじゃないかなと思います。エリザベート暗殺と生に疲れた気難し屋の一面が1章に来るところも、ミュージカルと空気感近く読めるんじゃないかな。
絵や写真が多くフルカラーなこと、組版も目が滑りにくくて読みやすいこともあってとっつきやすさはかなり高めです。「副読本に良い」の書評が目立つので、他の1冊でエリザベートの人生(と、一般的な彼女の評価)を押さえてから読むほうがよいのかもしれません。

巻末に図版の出典や参考文献の掲載があるのも素敵ポイントです。なのですが、ラインナップから見るに監修者が読んだ本だけで元原稿書いたクレマンさんや翻訳の田辺希久子さんが参考にした文献は記載してなさそうで残念。外国の書籍や論文、数の多さや質の見て取りにくさ(慣れてないからだけど)があるから気に入った本の参考文献から選ぶのが気楽だよね。


皇妃エリザベートの生涯』著.マルタ・シャート、訳.西川賢一(集英社文庫,2000)

・分量・語り口ともにさくっと読める
・手紙や日記の文面からの引用(訳は入るが文面のまま)が多い
・(エリザベートの)身内からのシシィ評がある

ふたこと先に言わせてください。
 絶版本紹介してごめん。(①)
 推しを紹介しないオタクがいる!? (②)
私のミュエリザ史実関係最推し書籍はこれです。トップに持ってこなかった理性を褒めてほしい。
相互さんなら郵送で貸すから読んでくれ。ぜひ。読む用と貸す用に2冊あるから。

エリザベートの様々な面を、そのとき付き合いがあった人物との関わりを語る形で描いた書籍です。ゾフィーやルドルフとの関わりを中心に書かれた章もあるから、ミュージカル「エリザベート」のイメージを膨らませる目的で読むにも楽しいんじゃないかなと思いますよ。
フランツ・ヨーゼフ1世と最愛の娘「ハンガリーの子」マリー・ヴァレリーは多くの章に顔を出していて、彼女を最も愛していた2人から見たシシィ像が、無茶無謀を繰り返す史実のエリザベートの印象を和らげてくれている気がします。

私のゾフィー(史実のほう)への印象は基本的に「翼下の者を庇護する国母」*5なんだけど、その根っこはたぶんこの本で紹介されたエピソードです。最初に紹介した「怖い絵」シリーズの印象もあるけど、この本に引用されたゾフィーの日記や手紙に書かれるシシィの姿が「子どもっぽいけど素直な娘」って感じなんですよね。婚約期間の真冬に薔薇の花を贈ったり(p.21)第四子を身ごもった彼女の部屋に自分が会いに行ったり(p.38)、ゾフィーなりに好意や気遣いを示しているようだしさ。

フランツ・ヨーゼフ1世への印象もこの書籍を読んで軟化しました。ミュージカルエリザベート、特に1幕で強調されてる母親贔屓というやらかし*6印象を個人的には払拭した(p.26)のもだけど、この本から読み取れる皇帝陛下、全体的にエリザベートの自由な旅を皇妃としてギリアウトくらいに治めつつご本人はめちゃめちゃ振り回されてるので……。

旅先からの落馬で昏倒したって知らせに気を揉んでたところ、目を覚ました彼女に「最初から覚悟していたことでしょう」とか言われるの(p.107)さすがにかわいそうだなの感情が湧いてしまって……。彼女の奔放にいくら寛容でも妻が馬遊びで死にかける覚悟はしてないでしょさすがに。愛娘には馬に乗らないよう言い含めたから大丈夫、じゃあないんだよ。

あとその……あれっすね、虚実混同の疾しさで目を泳がせながら言いますけど、田代フランツのオタクはゾフィーが書き残したシシィ出産の日のエピソード(pp.27-28)好きだと思うな……。
シシィの妊娠まわりで紹介されるゾフィーの話が妊婦に気遣っているものが多くて(p.26,pp.27-28,p.38)、彼女自身が妊娠*7までに苦労したんだよな(身ごもるまでもだけど、産んだ子の2人を早くに亡くしてるんだよなこの方)というのと併せて読むとじんわりします。ちらっと存在が出てくるゾフィーの書簡集読んでみたいな……。原本をっていうかこの人の翻訳で読みたさがありますね。言葉の当たりが柔らかく私人としての温かさを想像させるこの語り口でがよい。

この本の終わりのほうに出てくるスターライ伯爵夫人が書き皇妃の愛娘マリーが太鼓判を押した回想録(pp.183-184)*8も読んでみたいですね。……いや後者は物理的には読めるんですけどねオープンライブラリで見つけたから……。私の英語力と世界史力が試されてしまう。ないよそんなもの、あるのはソース元への執着だけだよ。この本を訳した西川賢一さんか、あるいは田辺希久子さん翻訳で出版されたりしないですかね……。講談社ぴあ東宝の三社合同で企画してほしいな……。


フランツ・ヨーゼフ ハプスブルク「最後」の皇帝』著.江村洋河出文庫

・数少ない日本語で書かれたフランツ・ヨーゼフⅠの伝記
・感情的な文体で、ドラマ本の感覚で読める
・おじいちゃん時代の和みエピソード多め

フランツ・ヨーゼフ1世の伝記として充実度が高く立派な書籍だと思っています。分厚いけど文庫なのでまあまあ手軽の部類だしね。基本の目線はかなりフランツ贔屓で書かれている印象。
伝記はその人を立てるように書くものだから、*9フランツ・ヨーゼフ1世の伝記がフランツ贔屓なのは正しいと思うんだけど。思うんだけどー……。個人的には同著者の別の本(『ハプスブルク家の女たち』)読んだときにあーうんその割り切りができないタイプで……という認識を持ってしまっていて、個人的には年追うほど苦手になる*10本。

日本語で書かれた数少ないフランツ・ヨーゼフ1世"を"書いた本だし密度も間違いないと思うんだけど(これは本当に)、シシィの伝記やオーストリア帝国の本をいくつか摘んだら筆者のアンチ大公妃ゾフィーの強さに中てられてこの本の前半読めない体になっちゃった。いや何回も言うけど、フランツの伝記に関してはそのあり方(フランツ・ヨーゼフその人を最大限魅力的に語り、複数解釈があるところでは主体の味方となる)が正しいんだと思うんですよ。でもその贔屓目外せないならその時代の他の人を主体に書く仕事には手を出さないほうがいいのでは……ってなっちゃって……。
世界史A+ミュージカルエリザぐらいの知識量(私です)だと著者のゾフィーへの冷遇*11には他の本読むまで気づかない*12と思うので、できたら別の本でゾフィーの人柄や彼女が(フランツ即位前に)オーストリアで果たした役割に触れた後に読んでほしいんだよね……。そういう意味もあってのこの順番です。シシィ没後の皇帝を詳細に記述している書籍は(日本で絶版になってない、少なくとも電子で読めるのは)あんまり多くないようなので貴重だなと思いますよ。


フランツ・ヨーゼフとハプスブルク帝国』著.スティーヴン・ベラー、訳.坂井榮八郎・川瀬美保

・フランツ・ヨーゼフの為政に焦点を当てた本
・ライトめの専門書です、興味あるところを摘んでいけ


先に言っておくとこの本からミュージカルエリザベートが楽しくなる空想を膨らませるのは難易度高いかもしれません。私がまあまあ好きな本だから入れました。
私はこの本から見えるフランツ・ヨーゼフ1世のこと人間らしくて好きなんですけど、私がいう人間くさいは人格的な評価においてはマイナスなので”対岸から見るぶんには”の補足が付きます。己の社会的立場(フランツヨーゼフの場合は国長という公人)としての公正さを放棄して私情に因った判断をし、しかし本人ばかりはその自覚がなく客観的な思考の結果と思い込んでいる、という意味なので……。

「監訳者のあとがき」曰く、フランツ・ヨーゼフ1世の伝記なんだけどフランツ贔屓じゃないという面白い立ち位置の本らしいですね。確かに割かしけちょんけちょんに言われている。ひと言にするなら「旧すぎる」のだ、と。
政治の立ち回りおよび国民の人心掌握の下手さを強めに描かれてるのもあり、あーうんこの人の為政にはシシィの美貌による皇族人気が必要だったな……みたいな気持ちになりました。たぶん(史実的には)間違った感想なのであんまり信じないでね、私は歴史の学びよりミュエリザネタとしての娯楽消費を優先していますからね。

あとやっぱり他の書籍より専門書寄りかもしれない。'21スリルミが中止になったときに勢いで買ったんだけど、ちょっとでかくてちょっと重くてちょっと高かったです。
ウィーンの研究家になりたいのでなければ、一読で全部を理解しながら読むのは無理だな!と割り切っちゃっていいんじゃないかな。私はググったり趣味:ドイツ近代史の友人に凸したり図書館の「れきし」(子ども向け)コーナーに突撃したりしつつざっくり流して読みました。
いやその、私のミュエリザで好きな場面2トップが「オーバーチュア」と「謁見の間」、その次が父子の対立なんですよ……そうなると当時のオーストリア情勢とかゾフィーやフランツの判断が与えた影響とかの情報入れたくなるじゃないですか……。

蛇足番外編

Q.前回入れてたやつは?
A.買ったし読んだし「ロマンス小説」としては出来がいいと思うんだけど、う、う~~~ん

史実の事実とは切り離した読み物・無責任なゴシップとして見られる方には面白い小説だと思います。たとえば太宰の「駆け込み訴え」のように題材はあくまで題材でしかなく、作品の目的は娯楽であって妥当性の高い解説ではないとちゃーんと分かって読めるなら楽しい恋愛小説ですよ。
うーんなのは著者や作品じゃなくてあれをああ*13売り出した出版営業側のモラルさね……。販促帯に桐生操推薦の文字があったことがあり、あー本怖グリムと同ジャンルだよね……の感がありました。

なんていうか直截な感想を述べますと、この本を紹介してたおれの推しは人間の知性と理性(すなわち人の善性だ、と思う)をとても信じているんだなと世界への信頼に心の洗われる思いがしましたが、私は善性の普遍や理性の盤石をちっとも信じていないので関連書籍としては挙げたくないですね……批難ではなく私の人類不信です。少なくともミュージカルエリザを観て虚実を混同してしまう人には読ませたくないかな……。
人間はつまらない真相より面白い仮説を好むものだから、「女には女を」じゃあないが虚構による中傷にはよりロマンチックな虚構をぶつけるのはありなのかもしれません。私は自然科学系の人間だから敗者に正義なし系はあまり承知したくなく、*14今回はリストに入れないだけです。

あの書籍における「ロマンス」つまり、第二子を妊娠したゾフィーに心なくもぶつけられた皇室ゴシップの真偽につきましては、マクシミリアン1世の伝記も書いてる歴史家がこれの10ページ目でまあまあ強めのキレをしてることからお察しください。20ページほどの論文ですがゾフィーの輿入れからマックスを産むまでに全体の半分が割かれており、入手が最も手軽かつまとまったゾフィー資料かもしれません。

 

ゾフィーの死*15やシシィの書いた黒いカモメの詩(夢想王との手紙かも)を文字媒体で読んだ記憶があるんだけど見つけられなかった。ハプスブルク展に際して出されたムックかな……。ソース元を思い出したら置いておきます。

*1:宝塚で「巡礼の年」の風がすげえ勢いで吹き抜けていったけれども、あそこの層は後述するタイプの困ったさんが出にくい印象があるので割愛する。(ショパンとリストの関連書籍は古典音楽詳しい人に聞いてください。)

*2:個人的には'10年前後にヘタリア界隈で見たなその類の困ったちゃん……と思った。

*3:ざっくり言えば義時の愚痴日記。古典ものに関しては個人的に角川ソフィア文庫の形式が好きです。

*4:江村著作から広がったから、調べ始めのほうに読んだのはスケープゴートが明確な本ばっかりだったんですよね……。

*5:ミュージカルのゾフィー様には+αで「厳格」「他の愛し方を知らない」が乗る

*6:Twitterで見かけた初エリザの方の感想「やらかしおじさん」より。見たとき5分くらい笑い転げまして、私は一つ覚えをするのでしばらく頻発すると思う

*7:このPDFの4-6ページあたりがわかりやすいかと

*8:『晩年の皇妃エリザベート』1909出版、らしいです。これ?

*9:と、中学時代の日本史のおじいちゃん先生が司馬遷の『史記』を例に出して言っていた。後で聞いた話、あのおじいちゃん現役の研究者だったそうで。

*10:客観的な視点として出されている文章に書き手の自意識を嗅ぎ取ると(観測も記録も世界に色眼鏡を掛ける行為だから、自意識くさくて当然なんだけれど。)疲れてしまうようになった。

*11:穏便な言い回しをしたけど個人的には”自覚のない憎悪”ぐらいのもんを感じてしまい、主人公じゃないからと言い聞かせながら読んでても覿面具合が悪くなるようになってしまった。

*12:言い換えると、ゾフィーの”したこと”にライトが当たる他の本を1つでも読むと著者の取り上げ方がえらく偏ってるのがわかる……。

*13:史実を題材に膨らませた読みやすくウケも良い妄想を「本当はこうだった(かもしれない)隠された真実」として、の意。創作として読むには楽しいけどあれを事実「かもしれない」と本気で勘違いする人を作り出したらだめだろ……。

*14:ワトソン・クリック、フランクリンでググってくれ。

*15:オペラを鑑賞後に夕涼みしてたら眠り込んでしまい、それが原因の肺炎で亡くなった。なお病人看病に熱心なシシィは例にもれず熱心に看病をしたとか。

タコピー9話で情緒がぼこぼこになった記念

情緒がトチ狂った全ログはこっちにあります。

全人類『タコピーの原罪』を読んでくれ - Togetter

これは8話までの内容でとちくるってるところ。

intheend.hatenablog.com

 

9話読んでの2時間でこんな量を出力するとは思ってなかったでしょ。

いやあこれ10話じゃ終わりませんねー!(タコピー読んだ)おれこれタコピーで叩きのめされたその日にラビットホール観ることになるの?家族(虐待)と家族(すれ違い)(違うかもだけどあの粗筋は円満ハートウォーミングじゃないでしょ)でジェットコースター2回乗るの?

タコピー9話、潤也が東くんのこと見つけたのは8話で東くんが犯人と疑ってたからじゃなくて何かに巻き込まれてるのを心配してたからだよなたぶん……

ママはこっそり出て行く東くんに声なんか掛けないんだよだってどうでもいいから。潤也は弟のことを気にかけてて、おそろの指輪をプレゼントした彼女の次に大事にしたいと思ってるから気がつくし引き戻そうとするんだよ。

東くん、潤也が落ちぶれればいい(ママは僕に期待してくれるはずだ)って思ってたのに(たぶん今も思ってるのに)、潤也が自分のことを気にかけてくれてる、大事にしようとしてくれてるって事実をないことにできない真面目な子だから指輪を盗る八つ当たりすらできなくて可哀想。

東くん、ママと違って一重なだけじゃなくて彼だけ癖っ毛なん? 小学生潤也はすとんとしたストレートだもんね。お医者なのはママらしいから潤也が「天才」なのは「お母さん譲り」で、東くんは影も出てこないお父さんに似てるのかな。

東くんの独白のキッツいところは彼が自分を「お父さんに似てる」ではなく「お母さんに似てない」としか思っていないのがガンガンに伝わってくるところです。東家も離婚してる……んだよな!?これでしてないほうがキツいぞ!?妻にも子にも存在を意識すらされない東パパ、頼む別の人生を歩んでてくれ

東くん、目の中にあるのはもうハートじゃないんだよな……。欲しいものが手に入るかもしれないって期待じゃないんだよ、タコピーの「魔法」を見て希望を持ったしずかちゃんと同じ星が映っている、願いが叶うと信じられる希望を持ってしまった あんな取引で、あんな対価で

しずかちゃんの魔性が最大威力を叩き出してますがここまで来ても彼女がしてるのは「自分の持つ中で相手が欲しいものを差し出す」奉仕にも似た行いでしかなく、身体と心しか持ってない無力な少女の「待っている」が自分の破滅と見合うほど価値を持つものになってしまった東くんのいる地獄こそポイズン

だめだ日本語がしんでいる 無力な少女の期待ひとつを身の破滅と引き換えてもいいと思い詰めてる東くんは誰の被害者かってママの被害者でしょこれ しずかちゃんがいなくても東くんはママに追い詰められて心を殺されたよ 東くんは破滅と引き換えに救われてしまったんだよ 絶望に死ぬはずだった心を

東ママ、グレた潤也に牝の顔向けてるのも悍ましいけど東くんに眼鏡を与えたときいつもの冷徹顔でも呆れてるのでもなくてちらっと汗かいてるのも怖いよ。東くんの視力低下がフィジカルにしろメンタルにしろ、「勉強しすぎで視力が落ちる」が理解できなくて動揺してるんだよあのママ

東くんが久世さんを気にしているのは(自分は持ってない)お母さんと似たところをたくさん持ってるからだと判明し、東くんだけじゃなくてしずかちゃんの地獄も深まってるのがさあ しずかちゃん本人を見て欲しがってくれてるのはタコピーしかいない この地球にいる人間の誰もしずかちゃんを見ていない

タコピー9話、冒頭で小学生潤也が来てる服と現在の東くんが来てる服が上下とも同じなの漫画がうますぎでは?
夜と朝で同じ服だからたぶん東くんは帰ってからお風呂も着替えもしてなくて、潤也は「こんな早くから」家を出ようとする東くんを引き止めるためにずっと待ってた ひょっとしたら徹夜で

東くんは、というか小学生ズはいつもおんなじような服着てるけど東くんは部屋着姿も映ってるんだよな一応 襟のない横縞の、幼い頃と同じ囚人服と似た柄の部屋着(横縞トップス好きな人いたらごめんね)(でもあの漫画で東くんで横縞って囚人服連想しない?)

東くん、こんなにまじめで不器用なのに、或いはだからこそ潤也が自分に家族の愛情を向けてることをきちんと受け取っているの本当に可哀想だと思う。いつも使ってるからって眼鏡を新調してくれようとする兄の言葉を思い出して指輪を盗れなくなるんだよ彼。しずかちゃんの期待と秤にかけてつり合うんだよ

東くん、ママの関心が喉から手の出るほど欲しいからこそ、ママと似ている潤也が向ける家族愛を心の奥で無視できないのかな 本当に欲しいものじゃないけど少し似ているもの

小学生潤也くん、「げ……!」は東くんに見つかったからではなく遊んでたゲームで操作をミスったからで、ゲームオーバーになっても弟のせいにもせず声ひとつ荒げず幼児東くんを構ってあげるの少年期にして人間ができててすげえ

潤也のLINE画面「◯に二度のワープve…」、これが二度のワープした世界だったらやだなって感想しか持てない

タコピーの原罪の最悪(最高)なところ、チャッピーを失ったしずかちゃんの絶望は仲直りリボンでもハッピーカメラでも解決できなかったけど、まりなちゃんのいる地獄は仲直りリボンで東くんのいる地獄はハッピーカメラで解決できるところ

まりなちゃんは「いた」だったね!間違えちゃった!泣くぞ

ハッピーカメラを使えば2話のしずかちゃんのように)答えがわかってるから100点が取れるし、同じことを何度もやるからそのうち本当にできるようになってくるだろうし、そうすれば勉強だけじゃなくて遊びに使う時間だって取れるようになる でも東くんもタコピー見つけても優しくはしない

東くんの眼鏡ダテなんじゃないかって気がしてきてどきどきする 「視力落ちたって『言ってた』よね」なんだよなママ 健康診断の結果ならこういう言い方せんでしょうし、いくら量販店でも本人いなくて診断書もないのに近視の度入り眼鏡売ってくれる眼鏡屋さんってある? 老眼鏡なら100均にもあるけど

これは東くんの虚偽申請って意味ではなく、東くんの視力低下は心因的なもので(だから伊達でも回復し)、お母さんは本人ではなく健康診断とかの数値だけを見て東くんが気を引こうとしてるんだろうと思ったから身体に影響のない伊達眼鏡を適当に買い与えたんじゃないかって意味です

東家、「ママがうつった」ようだった幼児東くんが潤也を「お兄ちゃん」呼びしてたあたり東くんだけじゃなくて潤也もたぶん長いことママに名前で呼ばれていないよね 東くんが生まれて以来ずっとお兄ちゃん呼びされてるんじゃないかな

東パパはまじで離婚して彼の人生を歩んでいてほしすぎるけど、タコピー6話でパンケーキを下げるママの左手に結婚指輪があるから既婚なんだよな こっっっわ

タコピー、読み返すと二重に描かれてるのしずかちゃんと東ママと潤也しかいなくて震え上がったんだけど、今回出てきた潤也の彼女も二重でこわくて泣いちゃう   

潤也は彼女が一重でも二重でも気にせず好きになったかもしれないけど、このアイコンを見た東くんは彼女を「お母さんに似ている」と思うんだよ

不幸に優劣なんてないけど、頼れる人も社会に守られたこともなかったしずかちゃんはまりなちゃんの死に希望を見るほど喜んで、お勉強と裕福なご家庭に常識をインストールされた東くんはお兄ちゃんの心を傷つけることすら躊躇うのを見ると東くんは環境が豊かなんて言えなくなっちゃうね

しずかちゃん→まりなちゃんも東くん→潤也も持ってる感情は似たような「いなくなればいいのに」っぽいのにこの差、ヒトを動物から(社会に馴染む)人間にするのは教育だってことをまざまざと思い知らせてくれる。

6話のあずまクリニック看板、「循環器科」「内科」あと1つ何だと思う? この並びでいけば呼吸器科や耳鼻科が順当だと思うんだけど、字数(3字)と密度がそういう感じじゃないんだよな……。特に1文字目、「精」の字のへんに見えてくるの気のせいです? 気のせいであってくれ

ふかふかのホットケーキもブランドの服も勝てないつないだ手には #二次創作短歌
タコピーの原罪短歌です 頭から離れなくて……

牧師さんや伝道師さんに罪ってなんですかって聞くとさ、皆さん揃って「神(創造主)の意志ではなく自分のことを考えてしまうこと」だって言うんですよ。だから罪をおかさない人はいないと。タコピーの原罪、自分の意思で親の言うことに反いたことじゃねえよな……ってずっと怖がってる

子どもを愛している親が子どもの心を救わないタコピー世界で「親の言いつけを守るより自分の気持ちを優先したね、私は我が子を愛しているけどお前がしたことの報いを与えないといけない」がきたらどうしようかと

ママの言いつけを守ってママの望む世界になるように頑張ってたまりなちゃんは死んでしまったから、この世界で創造主(親)に従順な良い子どもでも救われない(キリスト教の救いは死後の救いだけどまりなちゃんは死んだ後もあの扱いだぞ) 親の言いつけを守っても幸せにはなれない

明確に親の言いつけに反いたのはタコピーだけだけど、親の期待に沿うてないのはしずかちゃん(余計な面倒起こさないで)も東くん(完璧にやる)もそうではある しずかちゃんは期待されるほど関心を寄せられていない可能性はある

タコピーの原罪、しずかママの無関心(無気力)もまりなママの暴力も東くんママの調教も彼らに救いの手を伸べない社会もまあ揃いも揃って救いのない愛と地獄のオンパレードだなと思ってるけど、あの漫画は醜悪を醜悪とわかってお出ししてくれるので情緒はぼこぼこにされるけど深傷は負わない 私はね

短期連載されてるタコピーの原罪、ちょうどジェットコースターのてっぺんで一気に加速して破滅の限りを尽くすしおそらくあと2話で終わるし参入するなら今です! ぜひみんな見てくれな! 毎週金曜更新、世界観はディストピアドラえもんです
って下書きに残ってた たぶん2話じゃ閉じない

タコピー3話のしずかちゃんママがチャッピーがどうなったかを言葉濁してるの、他のママズとの差異(子どもの心を気にかけている)というよりママズとの共通点(愛情がないわけではないんだよな……)なんだなって