行くのか来るのか

ゆく年くる年みたいな言い方になりましたね。もう年は来たのですけれど。

天の国、行くのではなく来るものなのだそうだ。元は遠い天の国が地上と重なる?地上が天の国になる?という考え方、なんだって。福音書で弟子が席を取り合ってるのは(弟子たちが)間違った解釈をしているからなんだそう。彼らはうっかり八兵衛でおれらだ。使徒言行録ではキリッしてるけど未熟時代はこんなんだったよー、生まれついて立派な信徒だったわけじゃないんだよー(だからおれらも望み高だ、頑張ろうなー)ってことなんかな。

なんか前にも書いた気がしてきたぞ。地獄は祈りが届かない場所なんだぜ、天の国では祈り(推しへのメッセージ)が届くから祈って暮らしてるハッピー空間らしく、なるほど幸せなのか…?って思ってしまうのは推しへの愛が足りないからかとたぶん絶対間違いなくずれた納得をしたの回だ。感覚はそこまで間違ってもないんじゃないかと思うんだけど如何せん扱いが軽すぎるのと茶化した言い方する重さのものでは(信徒さんてきに)ない箇所なんだよなたぶんな。