堪え性がない。

ないよなあ、と自分でも思う。理由は単純で、それによる利より害のほうが大きいと認識しているからなのだろう。我慢して、あるいは穏便に対応してもロクなことがない。

もっと掘り下げていくと将来へのビジョンがないというか、こうなりたいものもこうありたいものもないから浮き草しているのだろうと思う。それでも生きなきゃいけないしなあ、という諦念すらないからいよいよ歯止めがないのだ。いやだって、ヒトって簡単にはなくならないけど簡単にする方法はいくらでもあるもの。

あまりにあまりだと思い始めたので、長らくずるずる(てきとうに)通っていた教会での洗礼を決めた。ミッション校、とりあえず教会体験しようねーってやるので、信心#とは の状態でもあまり違和感ないのだが。最後の逃げ道をふさがないと足掻きもしない人間性は誰よりも知ってるつもりなので。